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ご挨拶

私が1990年ごろから「家族で楽しめる趣味になる」と、探し始めたのがモールトンを収集するきっかけになりました。

そしてなぜかレアな特別なモデルが安価に手に入った事で今に至りました。

 

勿論何度もBOA (Bradford on Avon) に伺い博士にお目にかかり、お世話になった事で、より博士の素晴らしさに、また絶えず前を向いて貪欲に開発を進める姿、ダイナベクターの富成氏と技術的にディスカッションする時の顔、今でも思い出します。

 

ドイツ、スイスの旅行に同行させていただいた際に私が体調を崩し、食事が取れない事を大変心配くださったのも良い思い出になり、私にとって『 モールトン 』は人生で唯一特別な縁を感じる特別な出会いになりました。

 

それゆえに自分にいただいた良いご縁に恩返しのつもりでモールトンを愛する人、これから仲間になってくださる方全てのお役に立てればとミュージアムを設立するに至りました。

 

どうぞ、アレックスモールトンミュージアムを1人でも多くの方にご覧いただき、モールトンの世界にお迎えしたいと思っています。

 

 

本展時にイギリスでは無く、日本での展時にさいし、暖かくお認めいただきご協力くださったモールトン社とエイドリアン社長に心より感謝もうしあげます。

またミュージアムにご協力頂いた沢山の方々に心より御礼申し上げます。

Aoki's Alex Moulton Collection Museum 館長

                青木 高弘

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About

Takahiro Aoki

青木 高弘 ( Takahiro Aoki )

空間プランニングを行う有限会社 [ フルボデザイン ] 主宰。

インテリアデザイナー。

世界屈指のモールトンコレクターとして知られ、モールトン博士はもちろん、英モールトン社からも、貴重な車両や品々を提供していただける信頼関係を築く。

​現モールトンオーナーズクラブジャパン会長

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 Our story

私は美大に通っていた頃から、本物と贋物、一流とそうでない粗悪なものを見極める眼力は、自分なりに鍛えてきたつもりです。世に出回っている品々には、単なる一時的な流行品から、長い歴史や職人技の蓄積から生まれてきたものまで、幅広く存在します。それを上中下のランクで分けるのは簡単ですが、それを100あるいは200に細分化して見極められるのが、プロフェッショナルなデザイナーだと思っています。30代の時に初めて出逢ったモールトンも、そうした美意識を鼓舞するものでした。雑誌で目にした「AM-7」の写真に衝撃を覚え、「これはタダモノではない」と即座に直観しました。その後、再び雑誌でAM-7を目にし、購入を真剣に考えましたが、1980年代当時に35万円の自転車というのはちょっと破格で思いとどまりました。しかしその数年後、偶然にも近所の自転車店の前で、中古の黄色い「ATB」に遭遇したのです。憧れのAM-7とは異なりますが、遠目にもモールトンであることは一目瞭然でした。10万円台という価格だったこともあり、衝動買いしました。それが私の記念すべき第一号モールトンです。

八ヶ岳で1994年に開催された第一回モールトンミーティングには家族で参加しました。モールトン博士自身が初来日された時で、多くのモールトン愛好家が一堂に会し、まだ小さかった子供たちも含め、家族全員で楽しむことができました。そして第二回のモールトンミーティングの前には、新車の「GT」も購入し、最初に憧れたAM-7をはじめ、家族5人分のモールトンを探し始めました。それが結果的に、モールトン収集のきっかけとなったのです。まさか今のようなコレクションになろうとは、当時はまだ夢にも思ってもいませんでしたが。

古い資料を調べたり業者に依頼してモールトンを収集するなかで、例えば「SPEED6」を所望しても、90年代当時は英国から送ってもらう際には、かなりくたびれた品も含めて4、5台まとめて購入しなければなりませんでした。ただ、いろいろ触れてみて初めて理解できることも多く、いい勉強になりました。当時のモールトンは今のようなハンドメイドの高級品ではありませんが、量産車でありながら非常にクラフトマンシップ的なつくりであることも解りました。今思えば、ワークス時代の江口氏と一緒にモールトンF型フレームを探し、手探りで見てまわった想い出の時代です。

やがて、「'S'(エスレンジ)SPEED」に魅入られるわけですが、調べると現存するのは世界に5台で、まず市場に出るわけはないと言われました。そんな折、フランスで売りに出ているという情報を得て即アプローチしたところ、残念ながら私は二番手でした。半ば諦めていたのですが、一番手の人が金銭的理由から泣く泣く身を引き、運よく希少な 'S'SPEED を手にする願いが叶ったのです。その時はもう有頂天で、'S'SPEEDを肴にモールトン仲間とパーティまで開いたほどです。

以後、今ほどネットでコアな情報が得られない時代に、マニアの方々から数々の情報が寄せられ、入手が極めて困難とされるエスレンジを不思議なほど次々購入できた時は、さすがにモールトンとの特別な縁や運命を感じずにはいられませんでした。と同時に、世界的な文化財であるヴィンテージモールトンの価値を理解し、愛情を持って保存し、継承していく使命もひしひしと感じました。

何年か経つうち、日本でモールトンを何十台も所有していることが珍しかったことから、家族で取材されたりもしました。結婚10年目の時に雑誌に掲載された写真は、家内に「10周年のお祝いがこの自転車に化けた」と揶揄されたりもしますが、今も家に大切に飾ってあります。

1990年代末には、ダイナベクターの富成氏に誘われて、モールトン博士のお城を訪ね、後継者のショーン氏やダグ・ミリケン氏らと共にスイスを旅しました。ミーティングが開催される避暑地まで、モールトン社純正の輪行袋2つに厚紙を入れ、博士の愛車を積み、チューリッヒからドイツ経由で博士が自らFIATミニバンのレンタカーを運転していきました。途中、ライン河の畔を散歩した際、「美しい流れだなあ」とみんなで河を眺めていると、博士はそれには構わず、背後で工事していたクレーンを指差し、「あの見事なトラスを見なさい!」と盛んにおっしゃっていたのが印象的でした。

 

また、来日された時、お迎えはベンツで、帰りはジャガーでお見送りしたのですが、博士はジャガーの狭い車内で長身を窮屈そうに折り曲げつつ、「ベンツは戦車(タンク)だ。やっぱりジャガーの方がいい」と。博士が今まで乗ってきた車の写真を見ると、ジャガーやシトロエンをはじめ、フェラーリやベントレー、自身が関わったミニ、それにホンダのバイクなど、サスペンションに優れつつ、テクノロジーだけなく感性も加味したものがお好みのようでした。近年、博士はプリウスに乗っており、レクサスの静謐さや設計も非常に評価されています。

 

今、日本は英国に次ぐモールトンの市場であり、博士も日本に対して特別な思いを抱いていらっしゃいます。博士は技術者として常に最新の品が最大の関心事ですが、一方で私が収集しているようなモールトンの歴史を物語る製品にも深い思い入れがあるようです。

 

今ではモールトンの魅力も広く認知され、複数台のモールトンを所有しているモールトニアも珍しくない時代になりました。今後もモールトンの親善大使的な使命をライフワークにしていければ本望です。

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